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甲府駅での駅頭も日課となり、通りがけにお話してくださる方も日に日に増えてきています。私の「おはようございます!」に笑顔を返してくださることもうれしいのですが、やはり皆様と直接いろいろなお話ができるのが楽しみです。朝のお忙しい時間だとは思いますが、1分でいいので皆様の「声」をお聞かせ願いたいと思います。

 

中巨摩でのあいさつ回りを終えて、夜は4つの無尽会に参加しました。最後に参加した無尽は私の母の同級生の皆様が集まっている会。親戚のおじさんおばさんのように、いや「第2の父」「第2の母」とも言うべき皆さんがいらっしゃるところです。小さい頃から私もお邪魔していた会ですので、とても楽しみにして行きました。

 

バタバタと到着すると、さっそく政治談議に。すると一人のおじ様がこうおっしゃいました。

 

「なんだかさぁ、典ちゃんは変わっちゃったね。昔のほうが、身近で話しやすくてよかった。なんか寂しいね、こうなっちゃうと。」

 

私は笑ってやり過ごしましたが、本当は切ない気持ちでいっぱいでした。涙が出そうで、こらえるのが必死でした。

 

以下に書くことは、私の嘘偽りない、本当の気持ちです。

 

私は10歳で父を亡くした時、絶望的な悲しみのうちにいました。想像だにしなかった父との死別。気持ちの準備すらできていなかった私は、事実を受け止め消化するのが精いっぱいでした。「どうして私たちを残して・・・」と思ったことも何度もありました。

 

しかし、時間が経つにつれ、私は父が大切な宝物を残してくれたことに気がつきます。それは、父母の故郷・山梨で私を育ててくれたことです。父母は結婚当初、仕事の関係上、東京で生活していましたが、「子どもはどうしても山梨で育てたい」という父の強い要望で、山梨に帰っていて私を生み育ててくれました。親戚もたくさんいて、ご近所付き合いもまるで家族のようで、たくさんの友達がいて・・・。東京のど真ん中で、一家が孤立したマンション暮らしをしていたなら、私はこんなふうに育たなかったかもしれないと思うのです。

 

いつも声をかけてくれた近所のおじさんおばさんや父母のお友達のみなさん。ケンカもたくさんしたけれど、いつも笑顔で心の支えになってくれた友達、先輩、後輩、教え子たち。そして、親戚や家族。父との別れがなければ気づかなかったかもしれないけれど、私は一人で勝手にここまで成長したわけではない。こんな人たちの存在があったからこそ、今の私がいるのです。私の周りにいてくれたすべての人に、私は心から感謝しています。

 

だから、今まで私を笑顔にして育て支えてくれた人たちに恩返しがしたい。

これまでの感謝の気持ちを、「幸福感にあふれた政治」という形で返したい。

私を育て包んでくれた山梨の皆様の笑顔のために。

いつも助けてそばにいてくれた友達と、その子どもたちのために。

 

私の信念の原点は、まさにここにあるのです。

だからこそ、山梨から声をあげたかった。

感謝をこめて、ここから始めたかったのです。

 

偉くなりたいわけでもない。「先生」なんて呼ばれたいわけでもない。

今まで力になってくれたすべての人の力に、今度は自分がなっていきたい。

それが、私の原点です。

 

「政治の世界に飛び込む」なんてことは、普通の感覚では突拍子もないことかもしれません。でも、政治家になろうと、どんなことをしていようと、私はいつまでも変わらず皆さんが知っている「宮川典子」でいたい。「典子ー!」「のりちゃん元気?」「のんちゃん、実はさ・・・」と話しながら付き合ってもらえるような、ありのままの私でいたいのです。そして、これからの時代はそういうスタンスの政治が求められる時だと、私は思います。

「遠くに行っちゃうような気がして寂しい」なんて言わないでください。

私はいつでも、皆さんが知っている「宮川典子」です。

だから、今まで通り笑顔でそばにいて、私を支えてください。

私は今まで笑顔をもらってばかりだったから、

これからは皆さんに笑顔をあげられるように、恩返しできるように、

毎日毎日頑張っていきます。

 

このブログを見てくれている、私の大切な人たちにこの想いが届くことを願って・・・

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